ドラム缶の歴史をクイズ形式でたどる旅
【第2弾:ドラム缶と戦争】

前回は、ドラム缶の誕生から日本へ到来するまでの歴史をみていきました。

第2弾では、日本でのドラム缶の生産をはじめ、ドラム缶が担った戦中の役割などを中心に詳しくみていきたいと思います。

戦火となった時代に飲み込まれていくドラム缶の姿を追いかけながら、クイズ形式で歴史をたどっていきましょう。

-日本でドラム缶を生産するために合資会社を立ち上げたのは誰?-

■クイズ①

拡大するドラム缶の需要に対応するため、「合資会社日本ドラム罐製作所」を設立したのは誰?

日本で初めてドラム缶の製造がはじまったのは、1929年。和暦で言うと、昭和4年のことですが、製造した会社が自社用として使うものでした。

そのため市場にはほとんど流通せず、アメリカから輸入されたドラム缶が占めていたそうです。

そのような状況を打破し、拡大する需要に応えるため、「合資会社日本ドラム罐製作所」が設立されました。

■クイズの答え

「合資会社日本ドラム罐製作所」を設立したのは、本野吉彦さんで、日本のドラム缶製造業界のパイオニアとも言われています。

-ドラム缶産業の基礎ができたと言われている時期は?-

■クイズ②

日本でも力を入れて生産されることとなったドラム缶。その産業の基礎ができたと言われている時期はいつ?

日本は、第二次世界大戦がはじまってしばらくすると、アメリカから石油を輸入することができなくなりました。

そのため、当時占領していた地域から入手しなければならない状況に陥り、ドラム缶を製造する工場を建設するよう要請。国内のドラム缶工場で働いていた日本人も多数派遣されました。

しかし、うまくことが運ばないまま日本国内でも鋼材の入手が困難となり、敗戦とともに生産も衰退したのです。

■クイズの答え

満州事変が起こった1931年、和暦では昭和6年以降、戦争で戦うために必要な石油などの保管容器として増産させられたことが、産業の基礎となったと言われています。

-再びドラム缶の生産を拡大させた出来事は?-

■クイズ③

日本の敗戦により、ほかと同様に衰退してしまったドラム缶産業。再びドラム缶の製造を拡大させた出来事とは?

ドラム缶の生産ピークは西暦1952年で、当時の生産本数は250本。1949年の年間生産数は115万本ほどと言われていますので、約2倍以上もの本数を生産したことになります。

■クイズの答え

1950年に勃発した朝鮮戦争が、ふたたびドラム缶の需要を高め、生産を拡大させることとなりました。これは、ドラム缶が「特需」のひとつとなっていたことにあります。

-まとめ-

「ドラム缶の歴史をクイズ形式でたどる旅」の第2弾は、いかがでしたでしょうか?

戦火のなかで翻弄されながらも、さまざまな場面で足跡を残しているドラム缶は、敗戦後の日本を支えた産業のひとつであったとも言えるでしょう。

今回もまた、ドラム缶の存在がより身近になりましたね。