関西ものづくりワールド2020

こんにちは、オイルスターの加地と申します。今年も、インテックス大阪で開催される工場設備・備品展に弊社も出店いたします。
https://www.jetro.go.jp/j-messe/tradefair/detail/109384

出品商品は、弊社オイルスターのホームページでも販売しております
カラカンです。本物のカラカンが見れますぜひぜひお立ち寄りください。
入場料がかかりますので、商談のご希望がございましたら事前に弊社にご連絡頂ければ招待券を郵送いたします。

第5回 関西 工場設備・備品展
会期: 2020年10月7日(水)〜9日(金) 10:00〜18:00(9日のみ17:00終了)
会場:インテックス大阪
   加地商事ブース 3号館12ー32でお待ちしております。
   昨年はこのような感じで展示いたしました。


ドラム缶の歴史をクイズ形式でたどる旅
【第3弾:戦後の日本とドラム缶】

前回は、戦中にドラム缶が軍需のひとつであったことから産業の基礎を築き、敗戦後には朝鮮戦争をキッカケに日本経済を支える産業のひとつとなったことなどをみていきました。

ドラム缶についてのお話が最終回となる今回は、日本の高度経済成長期にドラム缶がどのように活躍したのか、そして現在に至るまでをクローズアップしながら、いつものようにクイズ形式でたどっていきたいと思います。

-日本のドラム缶の大きさや寸法は「〇〇〇規格」で決められている-

■クイズ①

日本のドラム缶、大きさや寸法は「〇〇〇規格」で決められています。さて、「〇〇〇」のなかに文字を当ててください。

1955年頃になると、ドラム缶を作るためのさまざまな技術が進み、材料となる鋼板もコイル状で入手可能となりました。

さらに4年後の1959年には、日本で初めてドラム缶の製造をオートメーション化した工場が完成しています。

■クイズの答え

「JIS規格」によって大きさや寸法、耐久性などが標準化されたことで、運搬をスムーズにしたりオートメーション化したりすることが可能となり、合理化が進みました。

-日本経済が立ち直る時期にドラム缶の需要も伸びた理由は?-

■クイズ②

日本経済が立ち直る時期と同じくして、ドラム缶の需要もふたたび伸びはじめます。さて、その理由は?

日本の高度経済成長期は、1954年からとも1955年からとも言われ、とくに1955年から1973年までの18年間は、各年平均10%以上もの経済成長があったと言われています。

そのなかでも、ドラム缶の生産が飛躍的に伸びたのは、「岩戸景気」以降です。

■クイズの答え

石油を使った製品の生産量が増えたことから、ふたたびドラム缶の需要も伸びることとなりました。

-2018年度、ドラム缶の用途割合で75%近くを占めたものは何?-

■クイズ③

誕生から昭和の終盤ちかくまで、ドラム缶の用途を大きく占めていたのは、石油でした。さて、2018年度の用途割合で75%近くを占めたものは何?

誕生してから100年以上経つドラム缶ですが、考案された当時とほとんど変わらない形状だと言うのですから驚きですね。

いかに、考案者のネリー・ブライが優秀であったかを実感させられます。

■クイズの答え

ドラム缶の用途を占める割合は、昭和の後期以降、石油から科学へと変化しています。

その傾向は現在も続いており、2018年度、ドラム缶の用途割合を75%近く占めたのは「科学」となっています。

-まとめ-

今回で最後となる「ドラム缶の歴史をクイズ形式でたどる旅」、いかがでしたでしょうか?

本記事でクイズの答えを考えているうちに、ドラム缶への親しみや興味がわいたという人は、もう少し深掘りして歴史をたどってみるというのもおすすめです。

また、日本にはドラム缶を常設展示している博物館はないものの、過去には期間限定でドラム缶アートなどを展示した美術館などもあるようです。

ドラム缶の歴史をクイズ形式でたどる旅
【第2弾:ドラム缶と戦争】

前回は、ドラム缶の誕生から日本へ到来するまでの歴史をみていきました。

第2弾では、日本でのドラム缶の生産をはじめ、ドラム缶が担った戦中の役割などを中心に詳しくみていきたいと思います。

戦火となった時代に飲み込まれていくドラム缶の姿を追いかけながら、クイズ形式で歴史をたどっていきましょう。

-日本でドラム缶を生産するために合資会社を立ち上げたのは誰?-

■クイズ①

拡大するドラム缶の需要に対応するため、「合資会社日本ドラム罐製作所」を設立したのは誰?

日本で初めてドラム缶の製造がはじまったのは、1929年。和暦で言うと、昭和4年のことですが、製造した会社が自社用として使うものでした。

そのため市場にはほとんど流通せず、アメリカから輸入されたドラム缶が占めていたそうです。

そのような状況を打破し、拡大する需要に応えるため、「合資会社日本ドラム罐製作所」が設立されました。

■クイズの答え

「合資会社日本ドラム罐製作所」を設立したのは、本野吉彦さんで、日本のドラム缶製造業界のパイオニアとも言われています。

-ドラム缶産業の基礎ができたと言われている時期は?-

■クイズ②

日本でも力を入れて生産されることとなったドラム缶。その産業の基礎ができたと言われている時期はいつ?

日本は、第二次世界大戦がはじまってしばらくすると、アメリカから石油を輸入することができなくなりました。

そのため、当時占領していた地域から入手しなければならない状況に陥り、ドラム缶を製造する工場を建設するよう要請。国内のドラム缶工場で働いていた日本人も多数派遣されました。

しかし、うまくことが運ばないまま日本国内でも鋼材の入手が困難となり、敗戦とともに生産も衰退したのです。

■クイズの答え

満州事変が起こった1931年、和暦では昭和6年以降、戦争で戦うために必要な石油などの保管容器として増産させられたことが、産業の基礎となったと言われています。

-再びドラム缶の生産を拡大させた出来事は?-

■クイズ③

日本の敗戦により、ほかと同様に衰退してしまったドラム缶産業。再びドラム缶の製造を拡大させた出来事とは?

ドラム缶の生産ピークは西暦1952年で、当時の生産本数は250本。1949年の年間生産数は115万本ほどと言われていますので、約2倍以上もの本数を生産したことになります。

■クイズの答え

1950年に勃発した朝鮮戦争が、ふたたびドラム缶の需要を高め、生産を拡大させることとなりました。これは、ドラム缶が「特需」のひとつとなっていたことにあります。

-まとめ-

「ドラム缶の歴史をクイズ形式でたどる旅」の第2弾は、いかがでしたでしょうか?

戦火のなかで翻弄されながらも、さまざまな場面で足跡を残しているドラム缶は、敗戦後の日本を支えた産業のひとつであったとも言えるでしょう。

今回もまた、ドラム缶の存在がより身近になりましたね。

ドラム缶の歴史をクイズ形式でたどる旅
【第1弾:ドラム缶の誕生】

「ドラム缶」といえば、石油やエンジンオイルなどが入っている大きな金属製の容器です。

少し前まで、男性が活躍する印象の強かった港や工場、ガソリンスタンドに置いてある「ドラム缶」を、100年以上も前に、しかも女性が考案したというのは驚きではないでしょうか?

今回は、誕生の経緯やあゆみなど、知れば知るほどドラム缶が身近に感じられること間違いなしの「ドラム缶の歴史をクイズ形式でたどる旅」を楽しんでみませんか?

-ドラム缶が誕生したのは西暦何年?-

■クイズ①

ドラム缶が誕生してからは100年以上経ちますが、西暦何年に考案されたでしょうか?

1860年代のアメリカでは石油が発見され、その石油を作る際に取り出される、灯油を使った照明が浸透していきました。

しかし、灯油の運搬や貯蔵に使われていた木樽は寒暖差に弱いという欠点がありました。

その欠点を補うために考案されたのが、金属製のドラム缶だったのです。

■クイズの答え

ドラム缶が考案されたのは、西暦1903年。和暦では、明治36年のことです。

-ドラム缶を考案した女性の職業は?-

■クイズ②

ドラム缶を考案したのは、アメリカ人の女性でした。さて、この女性の職業は?

ネリー・ブライというアメリカ人女性が、ドラム缶を考案しました。

ドラム缶を考案するキッカケとなったのは、ドラム缶考案の4年ほど前に欧州を旅行したときに見た、金属製のグリセリン容器だったそうです。

その後、試行錯誤を繰りかえし、強度面における欠点なども強化して本格的な普及にこぎつけたのは、西暦1914年。和暦では、大正3年頃と言われています。

■クイズの答え

ネリー・ブライは、ジャーナリストであり、世界で女性初の新聞記者とも言われています。

-ドラム缶が日本に入ってきた時期は?-

■クイズ③

強度面の欠点が改良され普及のはじまったドラム缶。日本に入ってきた時期は?

1920年頃になると、アメリカで新たな油田が次々と開発されたため、需要と供給のバランスを保つために日本にも石油が輸出されるようになりました。

このとき、石油の輸送容器として使用されたのが、「ドラム缶」です。

■クイズの答え

西暦1924年、和暦では大正13年に、名古屋港に入港したアメリカ船に乗っていた空っぽのドラム缶を、商人が買い取って店内に並べたものが日本初上陸と言われています。

-まとめ-

ドラム缶が誕生した経緯や日本に到来するまでのあゆみ、いかがでしたでしょうか?

普段、何気なく目にしているドラム缶の生い立ちや歴史も、こうして詳しく振り返ってみると奥が深いものですね。

今度どこかでドラム缶をみかけることがあれば、ぜひ、本記事の内容やクイズを思い出してみてください。

油圧作動油について

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世界の石油生産量について紹介

石油はまだまだ地球上のどの国や地域においても欠かすことのできないものです。

残念ながら日本はこれに含まれませんが、石油が採れる国々では石油の生産・輸出により様々な利益を得ることができています。

今回は、そうした石油が採れる国々について、生産量ごとに詳しく紹介します。

石油に関しては原油のほか、シェールオイル・オイルサンド・NGL(液化天然ガス)を含む2017年のデータとなります。

参照:https://www.globalnote.jp/post-3200.html

また、()内の数字は千トン単位です。

見出し:生産量5位:イラン(234,192

2017年の生産量5位は中東の国イランでした。イランは中東諸国の中でも比較的国の面積が大きく、そのぶん石油の生産量の面で有利に働いています。

アメリカとの関係が非常に悪く、様々な経済制裁を受けていて経済状況は厳しい国ですが、自国でこれだけの量の石油生産ができるのは1つ大きな強みですね。

生産量4位:カナダ(236,330

イランの次に多かった生産量4位の国は北米カナダでした。カナダは世界第2位の国土面積を持つ国です。

石油生産の主となっているのがオイルサンドで、オイルサンドとは原油を含む砂岩のことを指します。

このオイルサンドの油分を高温の蒸気により液状化させることで、原油を得ることができます。

オイルサンドが採掘されるのは西部のアルバータ州などで、現在は石油産業によって地価の上昇、人口の増加などが生じています。

生産量3位:ロシア(554,353

生産量3位は世界最大の国ロシアとなり、4位のカナダとは2倍以上の差となりました。

ロシアは、NGL(液化天然ガス)に関しては世界1位、石油(原油)に関しては世界7位の埋蔵量を持つ国と言われています。

主な生産地域は、チュメニ州やタタールスタン共和国といった西シベリア地域です。

垂直統合石油企業「ルクオイル」、国営石油企業「ロスネフチ」といった会社がロシアの石油大手となっています。

生産量2位:サウジアラビア(561,716

2017年の生産量2位は中東の大国サウジアラビアでした。

サウジアラビアは日本の石油輸入元でトップの国で、日本は2017年に7,518万キロリットルをサウジアラビアから輸入しました。これは2位のアラブ首長国連邦と比べると倍近い量を輸入していることになります。

そのため、日本の外交を考えるうえでは、サウジアラビアは非常に重要な国という位置づけです。

トルコで起きたジャーナリスト殺害事件など、何かと国際情勢にも影響を大きく与えている国なので、今後に注目ですね。

生産量1位:アメリカ合衆国(571,035

1位に輝いたのは、石油の採れそうなイメージの強い中東の国ではなく、あのアメリカ合衆国となりました。

これは、シェールオイルの生産量が近年爆発的に伸びているからが主な理由です。

現在の1日あたりの生産量は700万バレルを超えていると言われており、世界の超大国アメリカは石油生産においても世界No.1の座に輝くこととなりました。

このアメリカのシェールオイル生産の本格化が近年の世界的な原油安の要因になったとも言われています。

影響力の点からも、アメリカはまだまだ世界の中心を担っていく存在です。

 

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